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ウィル禁ソンと感じたこと

作品を書いてて自省

どうも、うぃるきんです。今日は暗く暑い感情を吐露したいと思います。

 

自分は今年で白幻のカエルレウムを書いて4年目になる。

4年といえばオリンピックが開催される期間だけども、本来なら書き始めて2回目のオリンピックを迎えるわけで。

そんな節目で自分の色々な感情をなんとなくはきだそうと思った。

以下自省。

 

シロカエ定期的に感想とか色々な方面で応援なければ多分途中でやめてたと思う。

数字に落ち込む時もあった。周りを見れば、すごいいい作品がいっぱいあるし、知り合った人で職業にしたり、周りの反響がすごい人は何人もいて、自分なんてただの矮小な存在だな〜と思うこともあったし。

自分の作品はわかりにくいし何がしたいのかわからないみたいなことを思って、何度も書き直したいなという思いに駆られた。

その度にフェードアウトしてやめちゃえば、きっと誰も続きを必要とするレベルでもないしただこの人始めて、事情があってやめたんだろうな。くらいに思われるだけで終わるんだろうな、って。

でも・・純粋に作品見て応援してくれた人をできれば裏切りたくないし、(結果的に裏切ったこともたくさんあっただろうし)何より頑張ろうと決意した自分を裏切りたくないし。

もし納得するという点で諦めたら一応完結まで目指すって言ってるから無理矢理打ち切りエンドみたいにしてやめるだろうな。とも思ってる。

 

商業でもないから数字に深くとらわれることはないけど、でも時々、励まされることもあるし落ち込む。

数字は範囲であって深さじゃない、と何度言い聞かせたことか。広い範囲で浅くより、狭い範囲で深く、を目指すなら数字のみに囚われるのはよくないはず。

だから、感想ってスッゲー大事なんですよ。深く突き刺さったことを作者が確かめられる。読者なら言いたいものである。

 

自分は、その時その時好き勝手作品書いて終わらせる前に飽きてやめるってことばっかだし、一度くらいは人生で頑張ったことほしいじゃん。。って思って書き続けてる。し、物語に王道はあっても正解はないからこそ、まぁ一個くらい継続して形に残したいじゃん。

でも創作に置いて去年、今年が正直山場というか、自分の限界というかそこを乗り越えるか乗り越えないかで何か変わってくるような気もしている。

 

やめたいというよりは、続けたいのだけども、定期的に自分の作品はバケツからバケツに水を移してるだけの行為に思えることが多くあって。

それが「認められてほしい』の認められてほしい、って結局どこのレベルに至って自分は満足するの?って自問自答する。

一時期は、作品を通じて交流できれば、自分の作品が他の人に伝わるという点に目標軸を置いていたけれど。

他者に理由を求めすぎて、結局瓦解するのも自分の大前提「納得いくまで完結させる』に反してる。

しかし次のステージはどこだ?って考えた時に、完結させることだけでは?って回答しか返ってこなくて。

そうなった時に自分の小目標を設定するなら?交流再開?でも、自分と交流してくれるような聖人なかなかどうしているものかって臆病になってしまう。他者に理由を求めるな。

新しい小目標・・・何がいいだろう。

作品書いて自分が楽しむ、とか?意味とか意義とか見出さなくて自慰行為のようにトンデモ展開でも目をつぶって自分が楽しむ。でも自分の作品は意味がないと自分は楽しめないの(はあと)

それが課題かな。

自分の作品を楽しむ読者の自分を大切にする。それが大事。

と思い始めた。

 

のです。

以上4年間の自省