星海の街へようこそ

ウィル禁ソンと感じたこと

自分っぽいキャラ

おはようからおやすみまで。どうも、ウィルきんです。

ブログのネタに困っておりましたが。。。。

みなさん(?)1次創作って自分っぽいキャラクター作ります??

あくまで私は漫画描きとして発言するので悪しからず。。。

 

主人公は自分に似る問題。

よく主人公は自分の分身とかなんとか言いますよね。ぶっちゃけ似てるかと聞かれたら似てる方ではあるけど、ここまでストイックじゃないとか思います。理想的なキャラクター像というのがあくまでウィル禁の作品の主人公像だと思ってます。

そして限りなく自己投影したキャラクターって読者からしたら、人によっては読み難いものであるから難しい。作者の人格の自己投影度が高い上に既存のキャラクターと関わっている様が嫌われたりするのをよく見るワケで。

 

内面を書かなきゃいけない時って確実にキャラクターになりきる役者の気持ちで作者は作品を書いてる故かなーと勝手な邪推してますが。そりゃ作者(ドラマで言う所の役者や脚本家)自体が出張ってきたら作品が破綻しかねないわけです。

 

でもドラマではありますよね。キム●クは何演じてもキム●ク。みたいな。

私が仮にシロカエ以外の作品を書いたとして、何書いてもウィル禁臭さが出てしまうのか、それが自在に変化するのか。。少し気になるところ。漫画描きはぶっちゃけ他の表現物に比べ分担作業をだいたい一人でこなすことが多いので、その匂いが強く出るかもしれませんが。

 

というのもあるし、仮に純度90パー超えのウィル禁要素のキャラを出すって、かなりギャンブルだと思うんですよね。自分だからこう考える、という要素が深堀されて面白いと言ったものになるか、それとも鼻につくか。

まぁ作品という形に出してる以上、作者の思想が現れてくるわけですよ。どんなジャンルでも、どんな形態でも私はそう思っています。

 

そして作者そのものが堂々と作者で居られるジャンルというのがある。いわば、日常系、ノンフィクション物。。

だが問題がある。

ぶっちゃけ、私は私の生活を作品にして人に見せたいと思わない。

何より多分、つまらないでしょ。やるとしてもスープカレー紀行記とか北海道グルメリポートとかその辺。あとなんだ、酒に合う珍味おつまみ製作記。意外とあるじゃねえかバカヤロー。全部食いモン

それができるのってやっぱり自分の現状を知ってもらいたい、って勇気のある人ができると思うんですよねえ。自分の行動、選択が公に触れてジャッジされたりすると思うとなかなかできません。共感してくれる、っていうのが多分原動力なんだろうけど・・・自分には共感してもらえることはあっても、共感されて結果それを非難されるってことが多かったのでまずやらん。絶対やらん。シロカエ製作日記とか割と地獄だぞ。絶対やらんからな(フリではない)

 

私の日常は

いわばマイナーな人間なんです。常にマイノリティ。常識ぶるのに必死な人もどきです。ヒト族ヒトモドキヒトヒト。きっと”世間”と本音の溝は深い。

 

話に戻ると、自分っぽいキャラクターを出す短編があっても面白いかなーとただただ思っておりまする。まる。